使徒言行録

2008年8月31日 (日)

「やっと夢がかなった」

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使徒言行録28・17~31(連続講解第68回・最終回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

今日で使徒言行録の学びを終わります。約一年半かかりました。最初の説教のときに私が申し上げたことを、たぶん皆さんはお忘れになっているでしょう。「使徒言行録の学びが終わるまで、皆さん元気でいてください」。冗談で言ったわけではなく本気で言いました。しかしこの間、一人の姉を天におくりました。一人の兄、一人の姉が、遠くに引っ越して行かれるのを見送りました。一人の姉は長期入院中です。仕事が変わった方、身辺が急に忙しくなった方々がおられます。年々体力が落ちていると感じている方は多いでしょう。私も今年前半は、体調不良に苦しみました。すべてこの一年半の間に起こったことです。

「願いがかなう」というのは簡単なことではない。そんなふうに感じます。使徒言行録に紹介されているのは最初の教会の様子、とりわけ伝道者たちの戦う姿でした。しかし、ここで言わせていただきたくなることは、最初の教会の人々やペトロやパウロだけが苦労したわけではないということです。わたしたち自身も苦労しています。わたしたち自身も、ペトロやパウロと同じか彼ら以上に、一日一日、足と体を引きずりながら、いろんなものにぶつかり傷つきながら生きています。しかしそれでもわたしたちが絶望してしまわないで立っていることができるのは、苦しみの日々の中でほっと一息つくことができる瞬間があるからであり、それを神の恵みとして受けとることができるからではないでしょうか。

日曜日の礼拝が皆さんにとってそのような時間でありうるようにするために、私なりに努力させていただいているつもりです。わたしたちの月曜日から土曜日までがつらくて、そのうえ日曜日までつらかったら、わたしたちは、もはや立っていることができません。教会の礼拝は、現実から逃避するための場所ではありません。しかし、現実の戦いのなかで傷ついた人々の安息の場ではあります。今日、日曜日はわたしたちの安息日なのです!ですから、皆さんどうぞここで休んでください。エウティコのように説教の途中で居眠りしてくださっても構いません(ただし、三階から落っこちないように。松戸小金原教会に三階はありませんが)。教会にはどうぞ休みに来てください。遊びに来てください。私にはそれ以外の表現ができません。ここは、お説教に苦しめられる拷問部屋ではないからです。

パウロの夢は、ついにかないました。念願のローマに着きました。パウロはこれまで、いくら祈っても計画を立ててもローマに行くことはできませんでした。ところが、その彼が囚人となってローマ人の兵隊に護送されるという格好で彼の夢がかないました。しかし、過程がどうあれ、パウロにとって重要だったのはローマに行くことでした。なぜパウロはローマに行きたかったのでしょうか。その理由が今日の個所に記されています。

「三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。『兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。』すると、ユダヤ人たちが言った。『私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。あなたの考えておられることを、直接お聞きしたい。この分派については、至るところで反対があることを耳にしているのです。』そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。」

パウロの発言の趣旨をまとめておきます。キリスト教信仰を宣べ伝えるパウロの活動をユダヤ人たちが理解してくれない。実際のキリスト教信仰はユダヤ人たちが信じる聖書の教えと反するものではない。ところが、ユダヤ人たちはそれが聖書の教えに反するものであると言い張り、パウロを捕まえて殺そうとした。裁判でローマ人は、パウロのしていることは死刑に当たるようなものではないことを理解してくれた。それでも、ユダヤ人たちが彼の有罪を言い張るので、ローマ皇帝に上訴しなくてはならなくなったというわけです。パウロは、キリスト教信仰を宣べ伝えることは、それによってだれかから責められたり殺されたりするようなものではないことを、ローマ皇帝に認めてもらいたいのです。

もう少し短く言い直します。パウロが「ローマに行かなくてはならない」という確信をもった理由は、キリスト教信仰とそれを宣べ伝えるキリスト教会の“市民権”を保障してもらうためであったということです。これを信じているから逮捕されるとか、これを宣べ伝えているから殺されるというような不当な扱いを今後一切受けることがないように法的に認めてもらうためであったということです。その法の番人がローマにいる。そこでこの問題についてはローマに行ってその人に直接かけあって話してみたいという動機をパウロが持っていたということです。

しかし、この理由は、私にとっては、分かりにくいものです。なぜ「分かりにくい」と言わなければならないのでしょうか。

第一は、わたしたち(念頭にあるのは、21世紀の日本のキリスト者)は、パウロと同じような意味で、キリスト教信仰とキリスト教会の“市民権”を獲得するための戦いをしなければならないような状況にあるとは思えないからです。わたしたちがこの信仰をもって生きることを決心し、そのような人生を歩んだからといって、それによってただちに迫害されたり殺されたりするような状況にあるわけではありません。

それどころか!つい最近ある先輩牧師の口から聞いた言葉をお借りすると、今日の状況は「糠に釘、のれんに腕押し」です。わたしたちが何を信じようと、何を宣べ伝えようと、「どうぞご自由に」という空気に包まれます。全く無関心です!迫害されたり殺されたりするような状況に戻るほうがよいなどと、まさか考えているわけではありません。しかし、いわばその代わりに、無関心の牢獄、無反応・不感症の泥沼の中にいるような感覚があります。これがパウロの時代とわたしたちの時代の決定的な違いであると思われるのです。

もう一つ。第二に申し上げることは、第一に申し上げたこととはいくらか違う次元から見たことです。しかし内容的には重なります。

パウロのローマ行きの理由は、ローマ皇帝に上訴することによって、キリスト教信仰とキリスト教会の市民権を保障してもらうためでした。しかしそこで私がどうしても抱いてしまう疑問は、はたして本当にそのようなことがパウロひとりの力で可能なのだろうかということです。相手はローマ帝国の最高権力者です。歴史が伝えるところによると、歴代の皇帝たちは、人を人とも思わない、凶悪な独裁者でした。そのような人のところまで、まるでネズミ一匹のようなパウロが、単身でのこのこ乗り込んだからといって、何がどう変わるというのでしょうか。あまりにも無謀すぎるのではないか。危険すぎるのではないか。そのように感じられてしまいます。

もっとも、パウロは、これまでの間にすでに、ユダヤの最高法院を相手し、ユダヤの王アグリッパに対しても戦いを挑んできました。だからこそローマにも行き、ローマ皇帝の前にも立つ。そのような勢いを得、自信を抱くことができたのかもしれません。

しかし、ここでわたしたちがどうしても考えなければならないことは、ユダヤとローマは違うということです。ユダヤの王とローマ皇帝は違うのです。ユダヤの王アグリッパの前でパウロがそれを根拠にして語り、しきりと訴えていたのは聖書です。「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」(26・27)。ユダヤの国は、たとえどれほど堕落していたとしても、聖書を土台にして立つ国家でした。彼らの思想や文化の中に聖書の教えが生きていました。だからこそ、パウロが聖書の言葉を引き合いに出して論じることに対して、ユダヤ人たちは大いに反応し、また多くの場合、激怒したのです。両者の対話は、いちおう成り立っていたのです。

しかし、ローマ皇帝の場合はそうは行きません。聖書の御言葉を根拠にして語ったからといって、それを理解してくれるような相手ではありませんでした。どう考えても。それは全く異なる思想、全く異なる文化のうえに立っている相手でした。

聖書の教えが全く通用しない相手と語り合う。言葉の通じない、通じそうもない相手と話す。この点においてはパウロの状況とわたしたちの状況とが重なりあってくるところがあります。私は時々、家族の者から「内弁慶である」と批判されることがあります。そうであることを正直に認めざるをえません。すべての牧師が私と同じであるとは限りません。しかし、牧師たちの多くは、聖書を用いての議論ならば、得意としているはずです。私もそうです。もしそれが聖書に基づく議論であるならば、夜を徹して語り合うことができる用意と自信があります。

しかしです。聖書の教えが通用しない相手には苦手意識をもってしまいます。何をどう話してよいかが分からなくなってしまいます。黙ってやりすごすしかないと考えてしまいます。“引きこもり”になってしまいます。

そのような私であるゆえに、パウロの姿を見ると、大いに反省させられます。相手からネズミ一匹と思われようとも、聖書の教えが全く通用しない相手であろうとも、この信仰、この教会を守るために勇気をもって立ち向かう。このパウロの姿に学ばなければならないことがたくさんあると思います。聖書を知らない人々に、聖書を教えること。この信仰の真の価値を知らない人々に、この価値を分かってもらうこと。これこそが伝道であることは、間違いないことだからです。

「ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。『聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。「この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。」だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。』パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

使徒言行録の最後の部分は、いくらかコミカルでユーモラスな調子で書かれています。念願かなってローマにたどり着いたパウロの前に、またしても(!)無理解なユダヤ人が現われ、苦労するのです。「あーあ。まったくもう!」というパウロのため息が、ここまで聞こえてくるようです!

ローマの町はパウロにとって天国ではありませんでした。地獄でもありませんでした。そこでも引き続き、彼の日常生活が坦々と続けられました。彼の日常生活とは、御言葉を宣べ伝えること、すなわち伝道でした。パウロから伝道を取り去ると、彼のあとには全く何も残らなかったでしょう。パウロの人生は、神とキリスト、そして教会のためにすべて献げられたのです。

(2008年8月31日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年8月24日 (日)

「伝道を楽しめ」

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使徒言行録28・1~16(連続講解第67回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

「わたしたちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。島の住民は大変親切にしてくれた。降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれたのである。」

パウロの乗った難破船は、地中海に浮かぶ一つの島に辿りつきました。その船に乗っていた276人全員の命が助かりました。彼らは大きな喜びに満たされたに違いありません。

その島に着いたばかりのときには、そこがどこの陸地であるかが彼らには分かりませんでしたが(27・39)、まもなくそこがマルタ島であることが分かりました。なんと、その島に住人がいたのです。

島の名前は、その住人たちが教えてくれたのでしょう。流れ着いた島の住人の言葉が分かるというのは有難いことです。そして何よりそこに人が住んでいたこと自体が幸いです。人の住んでいないジャングル島に着く可能性もありえたはずです。

積み荷も船具も、そして最後の食糧も、彼らには残っていませんでした。飢えと寒さの中、冷たい雨まで降っていました。惨めさと絶望の状態にあり、ガタガタ震えていた彼らを、野獣ではなく人間が、温かいたき火をもって助けてくれたのです。

人が人を助ける姿には、本当に心温まるものがあります。知らない人は縛り上げて奴隷にするとか、「人を見れば泥棒と思え」と教えられているとか。そのような可能性も決して無かったわけではないでしょう。

マルタ島の人々は、あとで見るように、宗教的・文化的に言えばパウロにとってもわたしたちにとってもかなり違和感を覚えるような人々だったかもしれません。しかし、彼らには彼らなりの文化があり、困っている人を助けることにおいて明確な良心があったと言うべきです。間違いなく言えることは、彼らはパウロたちにとって命の恩人であるということです。そのことを決して見落とすべきではありません。

「パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。住民は彼の手にぶら下がっているこの生き物を見て、互いに言った。『この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、「正義の女神」はこの人を生かしておかないのだ。』ところが、パウロはその生き物を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。体がはれ上がるか、あるいは急に倒れて死ぬだろうと、彼らはパウロの様子をうかがっていた。しかし、いつまでたっても何も起こらないのを見て、考えを変え、『この人は神様だ』と言った。」

初めての島でたき火に当たっていたパウロが、さっそく災難に遭いました。パウロの手に蝮が巻きついてきたのです。海の難は去り、次は毒蛇の難です。それを見たマルタ島の住人たちはパウロを「人殺し」であると考えました。これは悪人に対する神の裁きであり、ばちが当たったのであると考えたのです。そのような考え方が彼らの宗教であり、彼らの文化であったと見るべきです。

しかし、パウロ自身はいたって冷静でした。驚くことも騒ぐこともせず、蝮を火の中に払い落して退治しました。災難から逃れ、何事もなかったように立っていることができました。すると、マルタ島の人々は、パウロのことを「この人は神様だ」と言いはじめたというのです。

人殺しにされたり、神様にされたり。パウロとしてはそれこそが、蝮にかまれるよりも災難だったかもしれません。しかし、それもまた彼らの宗教であり、文化であったと見るべきです。重要なことは、そこはエルサレムでもなければアンティオキアでもなかったということです。そのときパウロは異なる宗教の持ち主のど真ん中に立っていたのです。

さて、私はこの個所を読みながら、四つの問いを抱きました。第一の問いは、このときパウロが蝮に襲われても大丈夫だったことについて、わたしたちはどのように考えるべきだろうかということです。

もちろん、パウロの信じる神さまがパウロの命を蝮の毒から守ってくださったと言っても間違いではないでしょう。しかしまた、私にとって重要だと思える点は、このパウロの冷静な態度です。蛇に襲われた。蜂が飛んできた。そのとき重要なことは、とにかく冷静であること、そして相手の動きから決して目をそらさないことです。

熊が襲ってきた場合は「目を見てはならない」と言われますが、動きから目をそらしてはなりません。忘れてはならないことは、相手も生き物であるということです。こちらが怯えてあわてて騒げば、向こうもびっくりして攻撃を仕掛けてきます。暴れると噛みついてくるのです。

第二の問いに移ります。それではこのときパウロが冷静でありえた理由は何だろうかということです。それはやはり彼の強さにあったと言うべきです。パウロの強さの理由は、はっきりしています。単純に言えば、彼は神さま以外の何も恐れなかった人なのです。

これまで見てきましたように、パウロは人間というものを全く恐れませんでした。襲いかかろうと構える群衆のなかで、一人で立ち、一人で語ることができました。暴力も恐れませんでした。法廷も恐れませんでした。死刑宣告も恐れませんでした。

また彼は、人間だけではなくどんなことも恐れませんでした。海も恐れませんでした。暗闇も空腹も恐れませんでした。彼が唯一恐れたのは神です。そして真の救い主イエス・キリストです。その方以外のどんな存在も恐れませんでした。そのパウロにとって蝮などは、ちっとも恐くなかったのです。

第三の問いは、パウロが蝮にかまれたことを見てパウロを「人殺し」だと考えたマルタ島の人々の考え方を、わたしたちはどのように受けとめるべきだろうかということです。

はっきり言っておきます。彼らの考え方は、どれほど公平に見ても、パウロの信じていたキリスト教信仰と相容れるものではありえません。わたしたちは、彼らのような考え方についていくことはできません。誰かに災難が降りかかった。それは悪人に対する神の裁きであり、ばちが当たったのである。このように語ることは、わたしたちには許されていません。

この点は、どこまでも拡大していくことができるでしょう。戦争の被害に遭った。地震の被害に遭った。それは神の裁きである。そのように言いはじめますと、責任の所在がぼやけます。地震の場合でさえ、人災の可能性があるからです。そのように言うことは、「神の名をみだりに唱えること」に通じるでしょう。

しかし、です。ここで私は、第四の問いを発しておきます。それは先週申し上げたこととよく似たようなことです。それは、この場面でパウロが語っていない言葉があるということです。なぜパウロはその言葉を語っていないのだろうかという問いです。

パウロが語っていない言葉とは何でしょうか。すぐに気づいていただけると思います。マルタ島の人々がパウロのことを「人殺し」であると言い、その次に「この人は神様だ」と言いました。しかし、ここで驚くべきことは、そのときパウロが彼らに対して「わたしは人殺しではない」とか「わたしは神ではない」と反論していない(!)ということです。議論もしていません。微笑み(最低でも苦笑い)をもって受け流している感じです。

議論するのが面倒くさかったからでしょうか。もしかしたらそうなのかもしれません。しかしこれまでのパウロの言動と比較してみると、どこか違いを感じます。

もっと食ってかかってよさそうな場面です。噛みつくような調子でむきになって反論しそうな場面です。「わたしは人殺しではないが、神でもない。人間を神と呼んではならない。あなたがたの考え方は間違っている。今すぐその考えを捨てなさい」。もしこの場面でパウロがそのように語っていたとしても、わたしたちが驚くことはないでしょう。しかしパウロはここでは一切反論していません。

その理由は何でしょうか。そのことについては何も書かれていません。ただ、考えさせられることは、パウロも少し変わってきているようだということです。

アテネでの演説を思い起こしてくださる方もおられるでしょう。アテネの至るところに偶像があるのを見て憤慨したパウロは、誰が聞いてもアテネの人々を痛烈に批判しているように受けとれる言葉を語りました。皮肉な言い回しで、目の前にいる人々に噛みつき、こき下ろしました。おそらくそれがパウロの正義であり、語らずにはおれない言葉でした。その結果アテネの伝道は明らかに失敗に終わりました。「それでも構わない。言いたいことを言えたので私は満足である」と、パウロは考えていたのではないでしょうか。

しかし、そのパウロが、ここマルタ島では、「この人は神様である」と言われても黙っています。いい気持ちになっていたはずがありません。キリスト教信仰とは全く相容れない思想です。それでも反論していません。“新しいパウロ”とまで呼ぶのは言い過ぎかもしれませんが、ここに至って異教的な人々に対する接し方が変わってきたように見えるのです。

わたしたちの教訓にすべきことがあると感じます。何でもかんでも言い返すのではなく、少し黙ることも大切ではないでしょうか。そのように考えさせられます。

そして、実際のパウロが次にとった行動はとても興味深いものです。

「さて、この場所の近くに、島の長官でプブリウスという人の所有地があった。彼はわたしたちを歓迎して、三日間、手厚くもてなしてくれた。ときに、プブリウスの父親が熱病と下痢で床についていたので、パウロはその家に行って祈り、手を置いていやした。このことがあったので、島のほかの病人たちもやって来て、いやしてもらった。それで、彼らはわたしたちに深く敬意を表し、船出のときには、わたしたちに必要な物を持って来てくれた。」

マルタ島の長官プブリウスの父親が、病気で寝ていました。パウロは、その家に行って苦しんでいるその父親を助けました。そうしたところ、島の人々がパウロのもとに集まるようになり、深く敬意を表してくれるようになりました。そして船出のときには必要な物を持って来てくれるほどまで仲良くなったのです。

ここにはわたしたちの伝道を考えるうえで、とても重要なヒントがあるように思われてなりません。問わなければならないことは、町の人々を批判し、皮肉を言い、けんかして、どうして伝道ができるだろうかということです。

私自身は、アテネでのパウロの気持ちが全く分からないわけではありません。偶像など見るのも嫌なところがあります。しかし、パウロの時代において、彼が初めて行った町が“異教的”であるというのは考えてみると当たり前のことだったわけです。

わたしたち日本の教会の場合も、それと似たようなことが言えるでしょう。この町に一つしかない改革派教会にとって、この町の多くの人が改革派教会の存在を知らないのは当たり前のことなのです。

しかし、その場面でわたしたちが感情を表に出し、「この町は異教的である。改革派的ではない」などと言っては、むきになって立ち向かい、相手を怒らせ、もめごとの種を撒き散らしていくことが伝道なのでしょうか。そうすることが教会の使命であると言わなければならないのでしょうか。もう少し違ったやり方はないのでしょうか。

このマルタ島でのパウロのように、苦しんでいる人のために祈り、手を置いていやすというようなやり方は、どうでしょうか。それは、単純に人の役に立つことをすることです。困っている人を助けることです。相手に喜んでもらえること、楽しいことをすることです。

大切な点は、わたしたちがそれを“教会の外側”にいる人々に向かってすることです。わたしたち自身がどんな人にも親切にふるまい、信頼される人間になり、「あの人が通っている教会ならば、わたしもぜひ通いたい」と思ってもらえるようになることです。時間がかかるかもしれません。しかし、それこそが最も理にかなった伝道の方法なのです。

(2008年8月24日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年8月10日 (日)

「生きぬけ」

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使徒言行録27・27~44(連続講解第66回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

先週の個所に記されていましたのは、恐ろしい出来事でした。囚人としてローマ皇帝のもとに護送されることになった使徒パウロを乗せた船が、地中海の上で激しい暴風に遭い、漂流しはじめたというのです。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」(27・20)と書かれていました。

その船に乗っていた人の数は276人であったと、今日の個所の37節に記されています。これだけの数の人々が、暗闇の海の上でほとんど絶望してしまったのです。

しかし、そのような状況とその人々のなかで、パウロは、非常に毅然とした態度を貫きました。それは、ある意味で不思議なことでもあります。そもそもパウロは囚人でした。一人の囚人に過ぎない存在でした。その船のなかでパウロは、いかなる意味でも指導的な立場にはありませんでした。指導的な立場にあったのは、ローマの百人隊長であり、軍人たちであり、船長であり、船主でした。

もしその人々がその船に乗っている人々を励まし助けたというならば、よく分かる話になるわけです。しかし、彼らはおろおろするばかりでした。その中で一人、パウロが語りはじめました。護送中の囚人の一人にすぎなかったパウロが、とにかく一生懸命になってみんなを励まし、力づける言葉を語ったのです。そしておそらくはパウロの言葉が、絶望していた人々を勇気づけるものとなったのです。

「十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、『あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない』と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。」

27節以下に描かれていますのは、航海についての専門的な知識をもっていた船員たちが、どこかの陸地に近づいていることを察知したとき、船が暗礁に乗り上げて難破することを恐れ、自分たちだけがその船から逃げ出そうとした様子です。しかし、その怪しい動きにパウロが気づきました。そして、そのパウロが即座に取った行動は、百人隊長と兵士たちに船員たちの逃亡計画を知らせ、それを阻止してもらうことでした。

このパウロの行動の意味は、次のように説明できると思います。専門的な知識をもっている人が自分たちの命を守るために逃げ出し、彼ら以外の人々、つまり、専門的な知識をもっていない人々の命を犠牲にすることは重大な犯罪であるということです。そのことをパウロが「百人隊長と兵士たち」に知らせたことの意味は、その人々の軍事力、あるいは警察力に訴えることであるということです。

ここで皆さんにお考えいただきたい点は、わたしたちが何らかの専門的な知識をもつとは、まさにそのようなことであるということです。話は飛躍しているかもしれませんが、いわゆるインサイダー取引がなぜ犯罪なのかを考えていただくと、私が申し上げたいことをすぐご理解いただけるに違いありません。これから株価が上がることを事前に知りうる少数の専門的な知識をもった人々が、値上がりする直前に株を買い、値上がりした直後に売り抜けて一儲けする。これは重大な犯罪なのです。

他にも例を挙げて行くと、きりがありません。わたしたちが考えなければならないことは専門的な知識をもつとはどういうことなのかということです。そこにどのような責任が伴い、果たすべき役割が伴うのかです。もちろんわたしたちが専門的な知識をもつためには一生懸命に勉強する必要があるでしょう。つまりその問いは、わたしたちが一生懸命に勉強することの目的は何なのかという問いでもあるでしょう。

自分自身や家族や友人たちだけを助けるためだけでしょうか。そうではないでしょう。わたしたちは、多くの人々のために、公共の福祉のために、自分の専門的知識が用いられるようになるために一生懸命に勉強すべきなのです。そして多くの人々と共に力を合わせて危機的な状況を乗り越えていくために真剣に働くべきなのです。そうでなければわたしたちの勉強にも仕事にも意味がないでしょう。いかにもケチくさい、自分のことしか考えないような生き方は、明らかにまずいでしょう。

もちろんその中に自分自身や家族や親しい友人たちが含まれていることは許されてよいことでしょう。しかし、自分たちだけが逃げ延びて、他の多くの人々が犠牲になっていく様子を、まるで対岸の火事でも見るように、遠くから眺めているというのでは、何のための専門的知識なのか、何のための勉強なのかが真剣に問われなければならないでしょう。

先週も申し上げましたように、パウロには、航海に関する専門的な知識はなかったかもしれません。しかし、そのパウロが、彼の全力を尽くして危機的状況の中にあった人々を助けることができたのです。その意味をよく考える必要があるように思われます。

「夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。『今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。』こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。」

その船に乗っていた人々は、14日間、つまり二週間もの間、全く何も食べずに過ごしました。その中でパウロが語った言葉は「どうぞ何か食べてください」ということでした。先週の個所でパウロは、人々に「元気を出しなさい」と語り、また「わたしは神を信じています」と語りました(25節)。私が興味深く感じたことは、パウロがこの場面で口にしていない言葉がある、ということです。

それは「皆さん、どうか神を信じてください」という言葉です。また「皆さん、どうか祈ってください」という言葉です。このような場面ではそういう言葉を語るべきではないということを、私が言いたいわけではありません。事実としてパウロはそのような言葉を口にしていないということを申し上げているのです。そのようなことよりもむしろ、この場面でパウロが積極的に語った言葉は「元気を出しなさい」であり、「何か食べてください」という言葉であったという事実です。

「神を信じてください」「祈ってください」という言葉のほうを“宗教的な”言葉と呼ぶとしたら、「元気を出しなさい」「何か食べてください」という言葉はいわば“一般的な”言葉です。あるいは、前者を“精神的な”言葉と呼ぶならば、後者はいわば“肉体的な”言葉です。さらに言い換えれば、後者は“人間的な”言葉であると呼べるでしょう。

もちろんパウロは自分自身の告白として「わたしは神を信じています」と語っていますし、また彼自身の一つの態度決定として神に祈りをささげています。しかし問題は、そのパウロが自分以外の他の人々に対して何を語り、どのような態度をとったかです。今日の個所を見るかぎりパウロはきわめて積極的に“一般的”な言葉、あるいはきわめて“人間的な”言葉をもって人々を励ましました。この事実が、私にとっては大変興味深く感じられたのです。

この点は、わたしたち自身の姿と重ね合わせて見ることができるでしょう。より根本的な問いとしては、教会と牧師は“人間的な”言葉を語ってはならないだろうかということでもあるでしょう。わたしたちが苦しみの中にある人々を励ましたり慰めたりするために語るべき言葉は何なのかを考えるための、重要な材料になるでしょう。それこそ二週間も食事をとれない状態のなかで全く絶望しかかっている人々に向かって、ここぞとばかりに伝道しなければならないでしょうか。それが彼らを助けることになるでしょうか。

この場面でパウロが語っている言葉に対して私が感じることは人間的な温かさ、あるいはデリカシーです。

伝道者になりたての頃のパウロは、語る言葉の一つ一つがけんか腰のようでした。噛みつくような調子で語っていました。しかし、そのパウロも本当に苦しみ抜いてきたのではないでしょうか。人の苦しみや痛みがよく分かるようになってきたのではないでしょうか。人が生きるために、「生き延びるために」(34節)何が必要であるかを、人としての心の深い次元で知るようになってきたのではないでしょうか。ここにパウロの人格的成長を読み取ることができるように思います。

「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」というのは、もちろん真剣そのものの言葉であるに違いないのですが、どこかしらユーモラスな響きがあります。これと似た表現は、旧約聖書のサムエル記上14・45、サムエル記下14・11、列王記上1・52、また新約聖書のマタイによる福音書10・30、ルカによる福音書12・7に出てきます。

その個所を見ると分かることは、問題は髪の毛の本数ではないということです。「主なる神があなたの命をしっかりと守ってくださる」という点を強調して語る、励ましの言葉です。人を勇気づける言葉です。

「朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。」

船がついに陸地にたどり着きました。しかし、船員たちが予測したとおり、浅瀬にぶつかってしまい、船が壊れてしまいました。兵士たちが、囚人たちが逃げないように殺そうとしたのは、彼らに与えられた任務を全うしようとしたからではありません。囚人に逃げられてしまうと彼らの責任を追及され罰せられることを恐れての行為です。ここにも自分が助かることしか考えない、自己保身的な人々の姿が描かれています。

しかし、彼らの計画は、百人隊長が阻止しました。「パウロを助けたいと思った」とあります。パウロを大事に思う気持ちを、百人隊長が持ってくれたのです。そのおかげで誰も殺されずに済んだのです。全員が助かったのです。

どうか言わせてください。囚人にすぎない一人のパウロが、276人全員の生命を救ったのです。他の誰よりも強く立ち、全力を尽くして、与えられた知恵と力を用いて。

その際、“自分のことしか考えないわがままな人々との戦い”という点を無視することができません。自分自身を含む(これが重要です!)全員が生き延びるために、パウロは、その頭と心をフル稼働させて、最後まで戦い抜いたのです。

(2008年8月10日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年8月 3日 (日)

「わたしは神を信じています」

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使徒言行録27・1~26(連続講解第65回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

使徒言行録の学びも、大詰めを迎えています。今日の個所から始まりますのは、言ってみるならば、パウロの第四回目の伝道旅行の様子です。ただし、第四回目という数え方が正しいかどうかは微妙です。

これより前に行われました三回の伝道旅行は、パウロ自身の祈りと計画に基づくものでした。しかし、今回は違います。今やパウロは囚人です。彼は囚人として、ローマ帝国の軍隊に引き連れられて、新しい旅行を始めることになったのです。

目的地は、イタリアの首都ローマでした。パウロがカイサリアで行われた裁判の結果を不服としてローマ皇帝に上訴したのを受けて、ローマに護送されることになったのです。それは、この(事実上の)第四回伝道旅行は、パウロの祈りと計画に基づくものではなかったことを意味しています。

とはいえ、今申し上げた事実にもかかわらず、これはパウロにとって事実上の第四回目の伝道旅行であったとみなすことができます。なぜなら、ローマに行くことそれ自体は、すでに十分な意味でパウロ自身の祈りと計画の中にあったことだからです。そのことは、ローマの信徒への手紙の中に記されています。「わたしは、祈るときにはいつもあなたがた〔ローマの教会の信徒たち〕のことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています」(ローマ1・9~10)。

ところが、パウロはその続きに「何回もそちら〔ローマ〕に行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです」とも書いています。つまりパウロにとってローマは、何とかしてそこに行きたいと願いつつ、いろんな要素に妨げられて、なかなか行くことができなかった場所だったのです。

そのためわたしたちは、事情は何であれ、パウロの願いはかなったのだと信じてよいのではないでしょうか。生きておられる神御自身が全く不思議な仕方で、パウロをローマへと導いてくださった。そのように見ることができると思います。

「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、パウロと他の数名の囚人は、皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという者に引き渡された。わたしたちは、アジア州沿岸の各地に寄港することになっている、アドラミティオン港の船に乗って出港した。テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコも一緒であった。翌日シドンに着いたが、ユリウスはパウロを親切に扱い、友人のところへ行ってもてなしを受けることを許してくれた。そこから船出したが、向かい風のためキプロス島の陰を航行し、キリキア州とパンフィリア州の沖を過ぎて、リキア州のミラに着いた。ここで百人隊長は、イタリアに行くアレクサンドリアの船を見つけて、わたしたちをそれに乗り込ませた。」

船を用いて海をわたってパウロと何人かの囚人をローマへと護送する責任を負うたのは、ローマの百人隊長ユリウスでした。

このユリウスがパウロを「親切に」扱ったと言われていますが、「親切に」は「人道的に」または「人に優しい仕方で」と訳すこともできる言葉です。その意味として考えられるのは、パウロは確かに囚人でしたが、非人道的な仕方で拘束されておらず、かなり自由に行動できる状態にしてもらっていたということでしょう。当時のローマ人たちの寛大さや見識を垣間見ることができるエピソードと言えるでしょう。

「幾日もの間、船足ははかどらず、ようやくクニドス港に近づいた。ところが、風に行く手を阻まれたので、サルモネ岬を回ってクレタ島の陰を航行し、ようやく島の岸に沿って進み、ラサヤの町に近い『良い港』と呼ばれる所に着いた。かなりの時がたって、既に断食日も過ぎていたので、航海はもう危険であった。それで、パウロは人々に忠告した。『皆さん、わたしの見るところでは、この航海は積み荷や船体ばかりでなく、わたしたち自身にも危険と多大の損失をもたらすことになります。』しかし、百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した。」

今日の個所から分かることは、パウロの時代の海の旅は決して順調なものではなかったということです。当時のローマ軍の船の大きさや性能がどれほどであったかは知りません。しかし、向かい風が吹けば進むことができず、陸や島を見ながら針路を決めたりしていることを見るかぎり、いかにも危なっかしい古代の原始的な船を想像すべきでしょう。

そして、もたもたしている間に冬が訪れました。すると、この時期の航海は危険であるとパウロは判断し、そのように人々に忠告したと記されています。ここで問題になることは、はたしてパウロに航海についての専門的な知識があったのかということです。書物や勉強によって得た知識くらいは持っていたと考えてよいかもしれません。また、これまで三回の伝道旅行の中には船に乗る場面もありましたので、そのたびに船長たちから教えられた知識があったのかもしれません。しかし、これとてあくまでも想像にすぎません。

むしろ事実に近いと思われることは、パウロの判断は、彼自身が「わたしの見るところでは」と言っている点を重く受けとめるとしたら、一種の直感あるいは霊感のようなものに基づくものであったということです。別の言い方をすれば、パウロはこの件に関しては素人(しろうと)であると見られても仕方がない人であったということです。

だからこそ、というべきでしょう、百人隊長はパウロの判断を受け入れず、船長や船主の判断のほうを信用しました。これはある意味で仕方がないことです。専門分野を越えて口を出すと、いろんな反発が返って来ます。「素人である」と批判されます。

ところが、です。パウロの判断が的中しました。彼らの船は、その時期に発生する暴風の直撃に遭い、太陽も星も見えない闇の中で、行く先も分からぬ状態になり、漂流することになったのです。

「この港は冬を越すのに適していなかった。それで、大多数の者の意見により、ここから船出し、できるならばクレタ島で南西と北西に面しているフェニクス港に行き、そこで冬を過ごすことになった。ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく『エウラキロン』と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。人々は長い間、食事をとっていなかった。」

私自身は、暴風のなか海の上を漂流するというようなことを経験したことはありません。強いて挙げるとしたら、一度だけ少し似ている状況に遭遇したのは、ギリシア発エジプト行きの飛行機に乗っているときでした。積乱雲に突入し、機体が激しく揺れたり、垂直に落ちたりして、私の目の前に座っていた客室乗務員の女性たちが乗客より大きな声で悲鳴を上げているのを見て、こちらが不安になってしまったことくらいです。

しかしまた、もう少し視野を広げて考えてみるとしたら、パウロが実際に遭遇した嵐の中のこの漂流体験は、わたしたちが人生のなかで何度となく味わう生活上の苦労の体験になぞらえることができるように思われます。

ここで二回繰り返されている印象的な表現は「流されるにまかせた」です。わたしたちも「流されるにまかせる」という体験をしたことがあるのではないでしょうか。

また彼らは「積み荷」(!)を捨て、ついには「船具」(?!)までも捨てました。こういう体験も、わたしたちは何度となく味わったことがあるのではないでしょうか。決して捨ててはならない大切なもの、それを捨てると先の人生を生きていくことさえも(精神的・肉体的に)困難になるほどのものまでも、仕方なく、涙を流しながら、捨てなければならない場面が、何度となくあるのではないでしょうか。

わたしたちの人生も、そして教会も同じです。教会も様々な困難、経済的な行き詰まりなどまで味わいます。あらゆることを切り詰めながら難しい局面を必死で乗り切っていかねばならないときがあります。

パウロが知っていたのは、おそらくその面なのです。彼には、船や海についての専門的な知識はなかったかもしれません。しかしパウロは、教会という船の船長を務めてきた人です。伝道の嵐と戦ってきた人です。海よりも恐ろしい反対者や迫害者に囲まれて、その中で死ぬほどの苦しみを味わってきた人です。

興味深いことは、そのパウロこそが、この嵐の中の恐ろしい漂流体験の中で、その面での専門家であったはずの船長よりも船主よりも、さらにローマ軍の兵隊たちよりも力強い言葉を語って、みんなを励ましたのだということです。パウロの強さは、明らかに、教会と伝道の戦いの中で身につけてきたものなのです。

「そのときパウロは彼らの中に立って言った。『皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。」ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。』」

パウロには一言多いところがありました。言わなくてもいいことを、つい言ってしまう。「わたしの言ったとおりにしていれば、このような目に遭うことはなかったのに」。

これは、苦しんでいる人をますます追い詰める言葉です。語られなければならない言葉かもしれませんが、これを聞く人の心は必ず傷つくでしょう。

パウロとしては、つい出てきた言葉だったかもしれません。しかし、それ以上は続けていません。実際に苦しんでいる人々を前にして、「その苦しみを招いたのは、あなたがたの責任である。そもそもあなたがたの最初の判断が間違っていたのである」というようなことをいくら言っても、彼らを助けることにならないことくらい、パウロにも分かっていたのです。

原因や責任の追究は、後回しでよい。今必要なことは、現実となったこの苦しい状況をみんなで乗り越えていくことである。そのことをパウロはよく分かっていたのです。

むしろこの場面でパウロが語ったことは「元気を出しなさい」でした。そして「わたしは神を信じています」という言葉でした。

「わたしは」にも「神を」にも「信じています」にも、それぞれ重い意味が込められていると感じる非常に味わい深い言葉です。もちろんその意味は、「神がこの絶望的な状況を切り開いてくださる。そのことをわたしは信じています」ということでしょう。

しかしパウロが「神を信じてください」とは言っていない点も重要です。この場面でパウロは、押しつけがましいことを少しも言っていないのです。

今、苦しみの中にいる方々へ。わたしたちもパウロと同じ言葉を送ります。

「わたしは神を信じています」。神がわたしたちを必ず助けてくださるでしょう。

(2008年8月3日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年7月27日 (日)

「時が良くても悪くても」

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使徒言行録26・19~32(連続講解第64回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

使徒パウロがユダヤの王アグリッパとローマ人総督フェストゥスの前で行った弁明が、もう少し残っています。パウロの言葉は、最後まで力強いものでした。

「『アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。そのためにユダヤ人たちは、神殿の境内にいた私を捕らえて殺そうとしたのです。』」

「私は天から示されたことに背かず」とあります。しかし「背かず」とたった三文字で訳されますと、さっと読み飛ばされてしまいそうです。語られている事柄の重大さを考えますと、「背かず」だけでは物足りません。もう少し丁寧に訳す必要があります。

よりよい訳の可能性としては「私は天から示されたことに従わざるをえませんでした」です。または「背くことができませんでした」です。イエス・キリストとの出会いの体験がパウロの人生を変えたのです。パウロが進もうとしていた道をキリストが遮ったのです。その先には一歩も進ませないと言わんばかりに立ちふさがったのです。キリストはパウロと同行者たちを“転倒”させたのです。

しかし、パウロがそのことを、これまた文字どおりの「“天から”示されたこと」として語っている点が重要であると私は思います。これは人によって違うことかもしれません。わたしたちは「私の人生を変えてくださったのは神である」と端的に語ることができるでしょうか。パウロが言っていることは、要するにそういうことなのです。彼の言っている「天」とは、神御自身を指しているのです。

わたしたちは、そういう場合におそらくいくらか躊躇があります。「何々さんが私を教会に誘ってくれたから今日の私がある」と言いたくなります。「たまたま目の前に教会があり、たまたま立ち寄ったのがこの教会だった」と言いたくなります。

そのようなわたしたち自身の言葉遣いが間違っているわけではありません。事実を事実として率直に述べているだけです。私が申し上げたいことは、パウロの語り方は、わたしたちの語り方とは明らかに違うものであるということだけです。

しかし、です。パウロの言葉には力強さがあります。果てしないまでの底力を感じます。彼の信仰の最終的な根拠は人間ではないということが語られているからです。神がパウロの人生を全く新しいものへと作り変えてくださったのです。パウロは「天から」、すなわち「神から」示されたことに服従したのです。

信仰の最終的な根拠が人ではないと語ることが、なぜ力強いのでしょうか。最も単純に言えば、人間は裏切ることがありうるからです。これは、人を信用して裏切られたことがある方々にはご理解いただける話でしょう。

パウロの場合も、そのことが関係していると思われます。間違いなく言いうることは、パウロが最初に神を信じたとき、彼を「神」へと導いたのは同胞であるユダヤ人であったということです。しかし、そのパウロが今やユダヤ人たちによって殺されようとしているのです。このわたしを神へと導いてくれたユダヤ人たちによって、わたしは殺されようとしている。もしパウロが信仰の最終的な根拠を人間に置いていたとしたら、自分はユダヤ人たちに裏切られたというような思いの中で、彼は全く絶望するしかなかったのです。

しかし、パウロは絶望しませんでした。信仰の最終的な根拠が人間ではなく、神御自身に置かれていたからです。人間につまずいても、パウロの信仰は揺るぎません。誰が何と言おうとも、パウロの信仰が失われることはありません。

これらの点について、わたしたちはどうでしょうか。わが身を振り返って、よく考えてみなければならないように思われてなりません。

「『ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。』」

しかし、です。パウロの信仰の根拠は、「突然輝いた天からの光」というおそらく時間にすればたった一瞬にすぎない、神秘的で不思議な出来事という、ただそれだけのものではなかったと言うべきです。根拠は今日の個所の中に、少なくともあと二つあります。

第一の根拠は「天からの光」です。しかし、第二の根拠は「聖書」です。「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません」と言っているとおりです。第三の根拠については後ほど述べます。

イエス・キリストへの信仰の根拠は聖書にある。そのことをパウロは確信していました。これも彼の信仰の強さを表しています。

聖書は、わたしたち人間のように、昨日言ったことと今日言っていることとが違っているというような、曖昧で変わりやすい言葉の持ち主ではありません。今日ここで語ったことを来週「あれは無かったことにしてください」と語ることは、ある意味での勇気や謙遜さが必要なことではあります。しかし書かれた文字、あるいは印刷された文字には、そのようなあやふやさはありません。聖書の言葉を根拠にする信仰は、そのようなあやふやさの余地を残さない、きわめて明確な確信に至るのです。

「パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。『パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。』パウロは言った。『フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。』」

パウロはまだ弁明を続けていました。しかし、フェストゥスは「大声」でパウロの言葉を遮りました。それ以上語らせないように妨害したのです。そして、「お前は頭がおかしい」という言葉でパウロを侮辱しました。

「学問のしすぎで」とあります。これでも間違いではないと思います。しかし、原典を見ると、フェストゥスの言葉の中に“マニア”の語源と思われるギリシア語が記されています。つまり、フェストゥスが言っていることは、「お前は特定の宗教にのめり込みすぎている」というようなことです。「宗教かぶれである」とか「宗教マニアである」というようなことです。

この点から分かることは、ローマ人フェストゥスにとっては、教養の一つとして宗教についてのある程度の知識をもつということくらいは許容できるとしても、何か特定の宗教にのめり込むとか、“ハマる”ことは、精神的なバランスが崩れている、偏った人間であることの何よりの証拠に見えたのだろうということです。フェストゥスの目に映るパウロはマニアのようなものだったのです。一種の熱狂主義、視野の狭さ、精神の不安定さなどを感じ取ったのです。

宗教というものがたしかにそのような人間を生み出すことがありうることについては、わたしたちも知らずにいるわけではありません。やや誤解を恐れながら申し上げますと、もしわたしたちの信仰が先ほど申し上げた二つの根拠、すなわち「天からの光」と「聖書」という根拠だけにとどまるものであるならば、パウロがその言葉で批判された“マニア”のようなものと大差ないと見られても仕方がないのではないでしょうか。

しかし、今日私が最も強調してお話ししたいと願っていることは、パウロはこの二つの根拠だけにとどまっていなかったということです。彼の信仰には第三の根拠がありました。それは「このことはどこかの片隅で起こったことではありません」という点です。

ここで「このこと」とはイエス・キリストに関するすべての出来事です。その出来事は、どこかの片隅で起こったことではなく、アグリッパさん御自身もよくご存じのことです。このパウロの言葉の意図は、イエス・キリストに関するすべての出来事は「歴史的な事実」として起こったものであるということです。つまりパウロの信仰の第三の根拠とは「事実」です。もう少し丁寧に言えば「歴史的事実」です。これは重要な要素なのです。

パウロの意図は、次のように説明できます。

もし私が宣べ伝えているキリスト教信仰が「天からの光」と「聖書」だけを根拠にしている宗教であるとするならば、わたしたちの姿はたしかに、宗教マニアのようなものに見えてしまうかもしれません。しかし、わたしたちの場合はそれだけではありません。わたしたちの宗教は「歴史的事実」を重んじるものです。

アグリッパさん、あなたもよく知っているあの出来事。誰もが目の前で見た現実の出来事。ひとりのナザレ人イエスが十字架の上にかけられて殺されたあの出来事、それがわたしたちのキリスト教信仰の根拠です。あの出来事だけは、いくらなんでも無かったことにすることはできないでしょう。

ですから、私の頭は少しもおかしくありません。私が歴史的事実に基づいて語っていることを「頭がおかしい」などと、もし本当に言われなければならないのだとしたら、その事実を事実として認めているすべての人の頭も「おかしい」と言われなければならないではありませんか。そんな馬鹿な話はないでしょう。

「アグリッパはパウロに言った。『短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。』パウロは言った。『短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。』そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王はフェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに』と言った。」

パウロの弁明を聞いたアグリッパの心は、ほんの少しくらいは動いているような気がしますが、皆さんはどのようにお読みになりますでしょうか。短い時間で私をクリスチャンにする気かと、皮肉とも冗談ともとれる言葉を述べています。「おやおや、不覚にもあなたの言葉に説得されそうになったじゃないか」と冗談めかして言っているのかもしれません。そしてアグリッパは、パウロが上訴さえしていなければ彼は釈放されただろうと、同情のことばさえ口にしています。

もちろん、それ以上のことは言えません。たとえば、アグリッパはパウロの言葉に納得したとか、アグリッパにも信仰が芽生えたというようなことまで語るのは無理でしょう。それほど甘くはないと思います。しかし、です。アグリッパはパウロの言葉に相当な迫力と説得力を感じたであろうということくらいは言ってもよさそうです。

言い逃れとして申し上げるつもりはありませんが、伝道には時間がかかるのです。相手がほんの少しでも心を動かしてくれたなら、その日の働きとしては十分すぎるほどです。相手が誰であれ、時が良くても悪くても、わたしたちは語り続けなければならないのです。

(2008年7月27日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年7月20日 (日)

「召命と派遣」

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使徒言行録26・12~18(連続講解第63回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

今日の個所にもパウロとイエス・キリストとの神秘的な出会いの体験が記されています。この出来事について使徒言行録が取り上げているのは、これで三回目となります、ただし、単純に同じ内容が三回繰り返されているわけではありません。初回(9・1~19)においては、パウロがその出来事に遭遇した場面が描かれていました。二回目(22・6~21)には、パウロがユダヤ最高法院の人々の前で弁明を行っている場面で語った言葉として記されていました。

そして三回目となる今日の個所で彼が語っている相手は王です。ユダヤの王アグリッパです。これで分かることは、単純な繰り返しではないということです。語っている相手が違います。また内容も少しずつ違います。比較してみると、その違いが分かります。

しかし、です。全く同じではないとしても、同じようなことが三回も繰り返されていることの意味は何なのかと考えざるをえません。ごく単純に言えば、やはり、パウロの身に起こった(時間にすればおそらくほんの一瞬の)出来事が、その後の教会と世界の歴史にとって非常に重大な意味をもっていたのだということです。そのことを使徒言行録の著者がはっきりと認識していたのです。そのことが、同じ書物のなかに同じことが三回も繰り返して記されている理由であると言えるでしょう。

もちろんパウロも、小さな一人の人間にすぎません。しかし、その一人の人間パウロがイエス・キリストと出会い、回心と救いを体験することによって、その後の教会と世界に及ぼした影響は計り知れないほど大きなものであったと間違いなく言えるでしょう。一人の人間パウロが歴史を変えた。歴史を変えたパウロを変えたのは、イエス・キリストとの出会いの体験であった。つまり、パウロの存在と働きを通して歴史を変えたのは他ならぬイエス・キリスト御自身であった。そのように語ることができると思います。

もちろんパウロは、非常に特別な賜物と能力に恵まれた人でもありました。その意味でパウロは特別な人間でもありましたので、普通の人と単純に同列に並べることはできないかもしれません。しかし、その点は十分に考慮するとしても、今日の個所を読みながら、わたしたち自身が慰められたり励まされたりする点があってもよいと私は思います。

それは要するに、一人の人間がイエス・キリストによって救われることの意味は決して小さなことではないということです。わたしたちは、パウロほど影響力の大きな人間ではないかもしれません。しかし、わたしが救われたことには何の意味もないとか何の影響力もないということはありえないと考えてよいはずです。ここに教会が存在すること、教会にわたしたちが集まっていることには何の意味も影響力もないということはありえない。そのように信じてよいのです。

別の点から言い直せば、どんな偉大な働きをした人にも駆け出しの頃があったということです。パウロの場合、イエス・キリストに出会うまでの彼は、全く正反対の言葉を語り、また全く正反対の道を歩んでいました。しかし、彼は回心を体験し、人生そのものが一変しました。パウロの回心が、その後の教会と世界を変えた。それは歴史的な事実なのです。

何事もそうですが、一つの道を究めるためには多くの時間がかかります。心を定めて、忍耐強く時間をかけて一つの道を歩み続けることが大切です。それによって得られる収穫は決して小さなものではありません。とにかく地道な歩みを続けていくことが重要です。

「わたしは今日、生まれて初めて教会に来ました」。その日その時から始まる大きな動きがありうるのです。このわたし、わたしたち、この教会が踏み出す小さな一歩から始まる大きな歴史があるのです。そのことを信じようではありませんか。

「『こうして、私は祭司長たちから権限を委任されて、ダマスコへ向かったのですが、その途中、真昼のことです。王よ、私は天からの光を見たのです。それは太陽よりも明るく輝いて、私とまた同行していた者との周りを照らしました。私たちが皆地に倒れたとき、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」と、私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。』」

パウロが見たのは「天からの光」でした。それは太陽よりも明るく輝く光でした。彼はその光を心で感じただけではなく体全体で感じました。彼は地面に倒れてしまったのです。

この件に関しては、このときパウロは精神的ショックを受けたのだという説明も十分に成り立つでしょうと、すでに申し上げてきました。すでに死んだと思っていた方、イエス・キリストが生きておられた。そして、生きておられるその方が自分に声をかけてこられた。その声をはっきりと聞いた。それは、精神的なショックを受けるに十分な出来事です。

しかも、その声が語っている内容は、その日その時までパウロがしてきたことに対する批判であり、非難でした。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」。もちろん、そのようなことを、あなたはすべきでない、してはならない、という意味です。

「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」という言葉は、これまでの二回には出てこない、今回初めて出てくるものです。「とげの付いた棒」とは、イエス・キリストのことです。また、パウロが迫害してきたキリスト者たちのことであり、キリスト者の集まりであるキリスト教会のことです。あなたがイエス・キリストと教会を迫害することは、自分自身を傷つけることになる。そのことはあなたにとって何の益にもならず、むしろ不利益になる。だから、そういうことは今すぐやめなさい。そのように言われているのです。

「『私が、「主よ、あなたはどなたですか」と申しますと、主は言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。」』」

ここで語られていますのは、イエス・キリストがパウロの前に現われてくださった目的ないし理由です。イエス・キリストがパウロの前に現われて声をかけてくださったことには、明確な目的ないし理由があったのです。

余計な言い方かもしれませんが、もしイエス・キリストが何の目的もなく死人の中から蘇ってくださり、パウロにも声をかけてくださったというだけであるならば、そのようなイエス・キリストは、せいぜい人を驚かせ、ショックを与え、恐怖におののかせるだけのお化けのようなものと変わりがありません。そして、もしイエス・キリストがそのような存在であるならば、キリスト教会はお化け屋敷のようなものと変わりがありません。

しかしそうではなく、イエス・キリストが死人の中から復活してくださり、パウロの前にも現われてくださったことには明確な目的もしくは理由があったのです。その目的とは、すなわち、あなたが今まさに見ていること、これから見ることを多くの人々の前で証言し、宣べ伝える者にするため、というものです。「あなたを奉仕者、また証人にするため」とは、あなたパウロをこのわたしイエス・キリストに仕える者とし、またわたしの復活の事実を証言する者にする、ということです。

イエス・キリストの復活が、もし、とくに目的もなく、ただ単に人を驚かせ、ショックを与え、恐怖におののかせるだけのものだったとしたら、それは「お化けが出た」というようなことと内容的に少しも変わりがありません。しかし、そういうこととそれとは全く次元が違うことです。イエス・キリストの復活には、はっきりとした目的があったのです。そしてその目的は、次のように説明することができます。

イエス・キリストは、聖書に基づいて神の言葉を語られました。愛と憐みをもって弱い人を助け、病気をいやしてくださいました。そのようなイエス・キリストの存在と働きが、彼を憎む人々の手によって中断されたのです。罪のないイエス・キリストが罪に定められ、十字架にかけられ、殺されました。

しかし、そのイエス・キリストが死人の中から復活され、弟子たちの前に現われてくださり、パウロの前にも現われてくださいました。その意味は、イエス・キリスト御自身が、その存在と働きを地上において受け継ぐ人々をお選びになったということです。

その人々は、永遠に生きておられる救い主イエス・キリストとともに、聖書に基づいて神の言葉を語り、愛と憐みをもって弱い人を助け、病気をいやす働きへと具体的に召され、選ばれたのです。

別の言い方をするならば、死人の中から復活されたイエス・キリストに出会った人々は、びっくりした、ショックを受けた、怖かったというようなことだけでは済まされないのだということです。それだけならば、何度も言うようですがただのお化け屋敷です。イエス・キリストの復活を信じる者たちはイエス・キリストの存在と働きを受け継がなくてはなりません。イエス・キリストがそうなさったように、神の言葉を宣べ伝え、人を助ける働きに就かねばならないのです。

「『わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。」』」

復活なさったイエス・キリストは、パウロを「この民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」とおっしゃいました。ここで考えてみなければならないのは「救いとは何か」という問題です。

イエス・キリストがパウロに対しておっしゃらなかったことは、次のことです。「わたしは、あなたを罪と悪に満ちたこの世の人々の中から救い出しました。だから、あなたは、もう二度と彼らのもとに戻ってはなりません」ということです。そのようなことをイエスさまはおっしゃっていません。正反対です!

イエスさまがおっしゃっていることは、「彼らのもとに遣わす」ということです。つまり、あなたパウロは、あなたが元いた場所に戻って行きなさいということです。「彼らのど真ん中に入って行け」ということです。「この世の人々から逃げるな」ということです。そしてもちろん「その人々に神の御言葉を宣べ伝えなさい」ということです。

イエス・キリストはパウロに、次のことを約束してくださっています。

あなたの働きによって、彼らの目が開かれます!

闇から光へ、悪の支配のもとから神の支配のもとへ、人々が移し替えられます!

彼らには、真の信仰が与えられます!

彼らの罪が赦されます!

彼らは、すでに救われている人々と共に、神の恵みを分け合う者となります!

そのようにして多くの人々を救いに導くわざを、あなたパウロ自身が担う者となるようにと、パウロに対してイエス・キリストがお命じになったのです。

このことはわたしたち教会の者たちに全く当てはまることです。神の恵みをいただいた者たちは、その恵みを多くの人々と分かち合うことが求められるのです。イエス・キリストに選ばれ、召され、救われた者たちは、この世の中へと戻っていかなくてはならないのです。

(2008年7月20日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年7月 6日 (日)

「パウロ、王の前で語る」

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使徒言行録26・1~11(連続講解第62回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

ユダヤの王アグリッパがパウロに「自分のことを話してよい」と言ったので、パウロは話しはじめました。場所はカイサリアです。パウロの話を聞いていたのは、アグリッパとベルニケ、ローマ人総督フェストゥス、千人隊長たち、そしてカイサリアのおもだった人々でした(25・23)。

「アグリッパはパウロに、『お前は自分のことを話してよい』と言った。そこで、パウロは手を差し伸べて弁明した。」

パウロが差し伸べた手、また足には鎖がかけられていました(26・29)。パウロはとても惨めな気持ちを、半分以上は持っていたに違いありません。

しかしパウロは実に堂々としています。おそらく彼にとっては、相手がだれであれそういうことは全く関係なかったのです。パウロは、人間を恐れるということを知りませんでした。それは彼の性格にも関係していたかもしれませんし、また彼がこれまで受けてきた様々な訓練や試練の結果かもしれません。

けれどもやはり、わたしたちが考えなければならないことは信仰です。生ける真の救い主イエス・キリストへの信仰が、パウロを強くしたのです。

パウロがアグリッパに言わなかったことは「この鎖を外してください」ということでした。「この鎖さえ外してくださるなら、こんな信仰など喜んで捨てます」ということでした。パウロにとって自分の命よりも大事なもの、それが信仰でした。信仰が、彼の存在を支えていたのです。

今日取り上げますのは、アグリッパの前でパウロが語った言葉の前半部分です。この中でパウロは、いろんな意味で“微妙なこと”を語っています。何が微妙なのでしょうか。最初に二つだけ、注目すべきポイントを挙げておきます。

第一は、パウロ自身のいわゆる“立ち位置”に関する問題です。彼自身はどこに立っているのかという問題です。とくにポイントはパウロが繰り返し用いている「ユダヤ人」という言葉です。

なぜこの「ユダヤ人」という言葉が問題になるのかというと、申し上げるまでもないことですが、パウロ自身もユダヤ人だったからです。ユダヤ人であるパウロが「ユダヤ人」の話をしているのです。それは、日本人である私が「日本人」の話をするのと同じです。その言い方には明らかに(精神的に)“距離を置こうとする”気持ちが含まれています。

そして、もう一つ重要なことは、このときパウロの目の前にいたアグリッパ王もユダヤ人であったということです。問題は、ここでパウロはすべてのユダヤ人とアグリッパ王にけんかを売っているのでしょうかということです。そのように読めなくもありません。

しかし、パウロの言い方は非常に微妙なものです。明らかに距離を置きながら、しかしまたパウロは、自分自身も十分な意味でユダヤ人であるという明確な自覚をもって語っています。そこには痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。彼が語っている批判的な言葉の銃口が、彼自身にも向けられているのです。

第二のポイントは、今日取り上げます個所ではとくに、パウロ自身の過去について語られているということです。

パウロはかつて熱心なユダヤ教徒であり、また熱心なキリスト教迫害者でした。わたしたちが考えなければならない問題があります。パウロは自分のそのような過去について、今ここで胸を張って堂々と語っているのでしょうか、という問題です。

頭でも掻きながら、「いやあ、じつは私もねー、その昔はキリスト教なんか全く信じていなかったし、教会とか通っているような人間なんて殺してやりたいくらい大嫌いだったんですよー、あははー」とでも言うような感じで。ニヤニヤしながら。

私はこの個所をどう読んでも、そのように読むことはできません。パウロは明らかに、自分の過去を恥じています。ここにも痛みがあり、悩みがあり、苦しみがあります。反省と悔い改めがあります。しかし、それならばなぜパウロは、そのような恥ずかしくて痛く苦しい自分の過去をあえて口にするのでしょうか。彼は何を言いたいのでしょうか。

「『アグリッパ王よ、私がユダヤ人たちに訴えられていることすべてについて、今日、王の前で弁明させていただけるのは幸いであると思います。王は、ユダヤ人の慣習も論争点もみなよくご存じだからです。それで、どうか忍耐をもって、私の申すことを聞いてくださるように、お願いいたします。』」

最初にパウロは、アグリッパ王がユダヤ人の慣習も論争点もすべて知っている人であると言っています。これは明らかに相手の立場や知識を尊重している言葉です。皮肉や嫌味を言っているのではありません。けんか腰で突っかかっているのでもありません。

「『さて、私の若いころからの生活が、同胞の間であれ、またエルサレムの中であれ、最初のころからどうであったかは、ユダヤ人ならだれでも知っています。彼らは以前から私を知っているのです。だから、私たちの宗教の中でいちばん厳格な派である、ファリサイ派の一員として私が生活していたことを、彼らは証言しようと思えば、証言できるのです。』」

次にパウロは、すべてのユダヤ人がパウロ自身の存在と、彼の「若いころからの生活」を知っていると言っています。聞き方、または読み方によっては、少し威張っている感じの言葉に響かなくもありません。パウロは自分が有名人であると言っているのです。私のことを知らないようなユダヤ人は一人もいないと言っているのです。

しかし、パウロは、今この時点、つまりアグリッパ王の前に立って話しているこの時点での事実を述べているだけです。今この時点のパウロは、たしかに有名人です。すべてのユダヤ人がパウロの存在を知っています。パウロがかつて熱心なユダヤ教徒であり、熱心なキリスト教迫害者であったことを、今この時点におけるすべてのユダヤ人たちが知っているのです。

そのことを、パウロは知っていました。つまり、今ここでパウロがアグリッパに対して語ろうとしていることの意図は、パウロの身に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っているという事実に注目してもらおうとしているということです。パウロの意図をより正確に言うとしたら、「この私が有名人である」ということではなく、「この私に起こった変化をすべてのユダヤ人が知っている」ということです。

「『今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです』」。

ここでパウロの微妙な言い方が一つの極まりに達しています。パウロは「私たちの先祖」と言い、「私たちの十二部族」と言っています。ポイントは「私たち」です。この「私たち」の中にパウロ自身が含まれ、すべてのユダヤ人が含まれ、さらにアグリッパ王も含まれているのです。

パウロの気持ちが伝わってきます。「神さまがわたしたちに約束を与えてくださったではありませんか。わたしたちは、その約束の実現を求めて、同じ神さまに仕えているのではありませんか。アグリッパさん、あなたもそうでしょう。違うのですか」と。

「私パウロは、わたしたちみんなの共通の目標をめざして歩んできた者でありますのに、私がその中に属し、また私が今なお心から愛している同胞であるユダヤ人から訴えられ、この手や足に鎖をかけられ、裁判を受けているのです。こんなのありですか。いくら何でもひどすぎるのではないでしょうか」と。

「『神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。』」

ここで再びパウロは、死者の復活の問題を持ち出しています。強調がこめられているのは「神が」という点です。

「死者の復活」という点に強調がこめられていないと言っているのではありません。しかし、ここでパウロが問題にしていることは、神は全知全能のお方ではないのだろうかという点であると思われます。全能とは「なんでもおできになる」ということです。パウロの問いかけの意図は、神が「なんでもおできになる」ということを、また「なんでもおできになる」神という方を、あなたがたは信じていないのですかということです。

「いくら神でも死者を復活させることはできない」ともし考えるならば、神の全能性を否定することです。「できないこともある神」は、神ではないのです。

「『実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意思表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒瀆するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。』」

パウロは、自分自身の過去に触れます。過去の痛い事実の記憶を思い起こしています。ニヤニヤしながらではなく。反省と悔い改めをもって。それは、ほとんど彼のトラウマのようなものであったに違いありません。そうであるはずなのに、パウロはあえて自分の傷に触れる。

私のなかに改めてわき起こって来る問いは、パウロという人は、いったいどういう人なのだろうかということです。「普通の人ならば」という言い方はあまり用いたくありません。「日本人ならば」などは、もっと言いたくありません。私自身が「普通の人」や「日本人」の中に含まれていないかのようです。ですから、今は「私ならば」と言います。私ならば、パウロのように語れるだろうか。そのような疑問をもちます。

私ならば、自分にとって不都合なことは、なるべく語らない。人が気に入るようなことを選んで語る。すぐにでも命乞いをする。いざとなったらすぐにでも信仰を捨てる。そういうふうにならないだろうかと、自分で自分が心配になります。

パウロは、明らかに違うのです。批判の銃口を自分自身にも向ける。思い出したくない自分の過去を自分でえぐり、告白する。

その目的は、一つしか考えられません。パウロは愛するユダヤ人たちを救いたいのです。

私も百八十度変わった。神が変えてくださった。あなたがたも変わる。世界も変わる。

パウロは、目の前にいるアグリッパ王にも“伝道”しているのです。

そのために、自分のすべてをさらけだしているのです。

(2008年7月6日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年6月29日 (日)

「キリスト教の核心」

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使徒言行録25・13~27(連続講解第61回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

「『告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです』」(18~19節)。

今日の個所の使徒パウロは、まだカイサリアにいます。牢獄に閉じ込められています。しかしそうしておくことが、カイサリアに駐在していたローマ人総督フェストゥスの知恵でもありました。牢獄から出してしまいますと、パウロがユダヤ人たちに暗殺される危険性があったのです。

フェストゥスのなかにパウロが宣べ伝えているキリスト教信仰を擁護してあげようなどという意思があったわけではありませんでした。おそらくそのようなことは、彼にとってはどうでもよいことでした。フェストゥスにとって重要な意味を持っていたことは、今日の個所の中に、少なくとも二つ記されています。

第一は、被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず引き渡されるのはローマ人の慣習ではない(16節)ということです。

第二は、囚人を護送するのに、その罪状を示さないのは理に合わない(27節)ということです。

このフェストゥスの判断は、わたしたち現代人にとっては非常に納得できるものであり、うれしいことでさえあります。

この二つの点に共通していることがあります。それは、裁判やその結果としての処分は、できるだけ公明正大でなければならないということです。内容はどんなことであれ、誰かが誰かに一方的に責めたてられるばかりで、弁明や釈明の機会を与えられないまま、または罪状が明らかでないままで、処分を受けなければならないというようなことがあってはならないということです。たとえどんな人であっても闇から闇へ葬り去られるというようなことは間違っているということです。また、疑わしきは罰せず、です。

救い主イエス・キリストがお受けになった裁判とその結果としての十字架刑は、これとは全く異なる判断のもとに行われました。ポンティオ・ピラトがフェストゥスのような人であったとしたらどうなっただろうかと思わないではいられません。

もっとも、イエスさまは、十分な意味での弁明の機会が与えられたとしても、何もおっしゃらなかったかもしれません。イエスさまは、御自身の十字架刑を「父なる神の御心」として、全くお受け入れになっていたからです。

しかし、イエスさまが弁明ということを全く行われなかったからといって、そのことを理由にわたしたちが、弁明することは見苦しいことであるとか、恥ずかしいことであると考えるべきではありません。パウロは、どんな状況であれ、どんな場所であれ、遠慮なく堂々と弁明しました。それは、決して見苦しいことでも恥ずかしいことでもありません。

それどころか、パウロにとっては、そこで口を開くことをせず、弁明の機会を逃すことのほうが間違っていると考えていたに違いありません。なぜなら、パウロにとって「弁明」とは、単なる自己弁明ではなく、キリスト教信仰の正しさについての弁明であり、それがそのまま、彼にとっての“伝道”だったからです。

この点では、わたしたちも同じであるはずです。しかし、わたしたちは、このあたりの確信において怪しくなってしまいがちです。遠慮しすぎの面があります。これは皆さんに言っていることではなく、私自身に向かって言っていることです。

たとえば、わたしたちが日曜日に教会に通っているのは、わたしたちの個人的な趣味でしているというようなことではありません。救い主イエス・キリストにおいて神御自身が、わたしたちにそれを命じていることであるゆえに、していることです。そのような信仰は教会に通っていない人々には理解してもらえないことかもしれませんが、だからといって、わたしたちがその人々に対して必要以上に遠慮すべきではありません。よい意味で堂々としていればよいのです。

また、わたしたちは“伝道”のなかに押しつけがましい要素があることを、つい恐れてしまいがちです。しかし、そのことをわたしたちは、必要以上に恐れすぎるべきではありません。何か悪いことでもしているかのようにコソコソする必要は全くないのです。

もちろん、わたしたちの周りには、聞かれもしないことをこちらから畳みかけるように伝えようとすると、嫌がったり逃げて行ったりする人々は大勢います。うまくやる必要があるでしょう。

しかし、もし聞かれたら、はっきりと答えましょう。「あなたが信じていることについて話してほしい」とマイクを渡されたら、そのときは堂々と話しましょう。弁明の場が与えられたら遠慮なく語りましょう。それこそが“伝道のチャンス”だからです。そのような時と場所で、口ごもったり、ごまかしたり、逃げの一手を打ったりすべきではありません。聞かれたことに答えればよいだけです。

ところで、今日お読みしました範囲内には、パウロ自身の言葉は、一言も書かれていません。そのような範囲を私があえて選びました。私にとってたいへん興味深いと感じるものがあったからです。たいへん興味深いと感じたのは今日の範囲内に登場する三人の人物(アグリッパ王、ベルニケ、フェストゥス総督)のうち、ベルニケを除くアグリッパ王とフェストゥス総督がパウロについて語り合っている会話そのものです。

これを読みながら私がとくに面白いと感じたのは、パウロ本人がいないところで、この二人がいわば勝手にパウロのことをあれこれ言っている点です。また、二人ともパウロに対して明らかに興味をもっている点です。さらにフェストゥスがパウロから頼まれもしないのにパウロの生命と立場を擁護してくれようとしている点です。

おそらくわたしたちにも、これと同じようなことが時々、あるいはしょっちゅう、あるのかもしれないと、私には感じられました。どなたでもいいです。横田先生でも高瀬先生でもいいです。どなたか長老さんでもいいです。皆さんのうちのどなたかでもいいです。その方がいないところで、その方のことが話題になり、その方のことについていわば勝手に話が進んでいるとしたらどうでしょうか。しかも、その話は悪いほうに進んでいるのではなく、良いほうに進んでいる。こういうことは、しばしば起こるものです。

関口牧師の話が関口牧師のいないところで勝手に(?)どんどん進んでいる。「あの牧師は、どうやら最近、礼拝中に倒れたらしい。大丈夫だろうか。心配である」。先々週浜松で行われた大会役員修養会で、会う方会う方から「倒れたんだって?大丈夫?」と心配していただきました。岐阜県の先生も、香川県の先生も、長老たちも心配して声をかけてくださいました。「(関口牧師が倒れた話は)みんな知ってるよ」とも言われました。

私のことを、私の知らないところで、心配してくださっている方がいる。こういうのは、面映ゆいし、全く不思議なことだと感じました。

私の話はともかく。フェストゥス総督とアグリッパ王とが、パウロのことを、パウロがいないところで、あれこれと一生懸命に喋っている。とくにフェストゥス総督は、パウロについてユダヤ人の告発者たちがなんだかんだと文句をつけて言い立てたが、そのなかに予想していたような罪状は見当たらなかったとか、パウロとユダヤ人たちが争っているのは彼らの宗教上の問題のようだとか、パウロが間違っているかどうかを調査する方法が私には分からないとか、こういうことをいろいろと一生懸命言っているように見える。この様子が面白いと私には感じられたのです。

わたしたちにも同じようなことがあるのではないでしょうかと言いましたのは良い意味で言ったことです。申し上げたいことは、そのようなことは多かれ少なかれわたしたちにはあるのだから、わたしたち自身がいないところでわたしたちのことを勝手に話題にして、勝手に話を進めている人々に良い意味で任せたらよい面もあるでしょうということです。

もし弁明の機会が与えられたならば、そのときには、遠慮なく、堂々と語るべきです。しかし、わたしたちが全く関知しないところであれこれと噂話をしてくれていたり、良い意味でも悪い意味でも勝手に話を進めてくれていたりしている人々のところにまで、無理に押し入って、何でもかんでも聞き出す必要は全くありません。任せたらよいし、放っておけばよい。「どうぞご自由に」と思っていればよい。気にしすぎたり疑心暗鬼になったりする必要はないのです。

悪い意味で自意識過剰になるべきでもありません。どこかで誰かが私のことを心配してくれていることはありがたいことだと感謝していればよいのです。

そしてまた、そういうときに、今日の個所に出てくるフェストゥスのような人もいると考えることができたら、わたしたちの気持ちは、かなり楽になるはずです。

わたしたちは「世の中の人はすべて悪い人である」と考えるべきではありません。教会やその信仰のことを悪く言う人も、もちろんいます。しかし、人の悪口を黙って聞くことそれ自体が嫌だと感じる人も、必ずいるのです。教会の悪口を大きな声で言う人がいれば、その周りには、悪口を言っているその人のことを「嫌だなあ」と思っている人が何人かいると思ってほぼ間違いありません。

「世の中の全員がわたしたちの信仰の敵である」などと夢にも思うべきではありません。わたしたちの全く関知しないところで、わたしたちのことを応援してくれている人がいたり心配してくれている人がどこかにいるだろうと安心していればよいのです。

わたしたちは「人を信頼すること」を学ぶべきなのです。人に対していつでも必ずけんか腰で立ち向かうような態度は、間違っているのです。

18節から20節までに書かれていることに、ぜひ注目してください。先ほど少しだけですが触れたところです。この個所から分かることは、フェストゥスはパウロとユダヤ人たちとの間の「言い争い」の本質をきちんと正しく把握していたということです。「彼(パウロ)について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした」と。問題となっていることは「彼ら自身の宗教に関すること」と「死んでしまったイエスとかいう者のこと」であると。「このイエスが生きていると、パウロは主張している」と。「わたしはこれらのことの調査の方法が分からなかった」と。

事柄の本質は、まさにフェストゥスの言っているとおりです。パウロは何も悪いことをしていません。救い主イエス・キリストを信じる信仰を宣べ伝えているだけです。イエス・キリストは死人の中から復活され、今も生きておられますと語っているだけです。それがキリスト教信仰の核心だからです。イエス・キリストの死者の中からの復活、また、死者そのものの復活を信じないようなキリスト教は、キリスト教ではありません。

キリスト教と復活を信じない人がおり、また信じることができない人がいるということは、ある意味で仕方がないことです。しかし、もしそれらを信じることができるならば、人生に希望が与えられ、喜びが与えられるのです。これらのことを信じない人は、人生において大きな損をするのです。

そして、そのことをひたすら語り続けることこそが、教会の使命であり、伝道者の使命なのです。この件に関しては、黙れと言われても黙ることができません。パウロにとっては語らないことは不幸なのです。信じることをやめろと言われても、それをやめることができないのです。

この点は、わたしたちも全く同じです。

(2008年6月29日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年6月22日 (日)

「法廷の価値」

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使徒言行録24・24~25・12(連続講解第60回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

使徒パウロは、総督フェリクスの前で裁判を受けました。パウロを訴えたのはユダヤ教団の指導部の人々でした。彼らはパウロのことを「疫病のような人間」(24・5)と呼び、またキリスト教会をユダヤ教団の「分派活動」(同)と決めつけて、徹底的に攻撃しました。

しかし、パウロは全く怯みませんでした。彼を訴えた人々が教団の指導部であろうと、裁判を受けている場所が総督の前であろうと、パウロは恐れるということを知りませんでした。パウロは、自分のほうが間違っているとは少しも考えなかったからです。間違ったことは一つも言っていないという絶対的な確信を持っていたからです。

なかでも、彼が特別な確信をもっていたことは、「死者の復活」の教えでした。パウロにとってそれは、聖書の研究と読書に基づく確信を超えるものでした。パウロは、真の救い主イエス・キリストのお姿を光の中にはっきり見たのです。また、その声を聞きました。その光と声が、パウロを「死者の復活」に対する絶対的な信仰へと導いたのです。

その裁判はどうなったでしょうか。「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので・・・裁判を延期した」(22節)と書かれています。

「この道」とは、キリスト教信仰のことです。フェリクスは、キリスト教信仰についてかなり詳しく知っていました。

その意味は、フェリクス自身がキリスト教信仰を受け入れ、洗礼を受けて教会のメンバーに加わっていたということではありません。教えの内容を詳細に把握していたということであり、敵対的な態度をとらなかったということです。好意的な態度をとってくれたとは言えないかもしれませんが、パウロの裁判を延期してくれました。

「延期する」と訳されている言葉の原意は「和らげる」「緩和する」「猶予する」などです。うまい具合にパウロをかばってくれたのです。

パウロを監禁するように百人隊長に命じましたが、それはパウロを暗殺しようとするユダヤ人たちからパウロを守るためであると見るべきです。パウロにある程度の自由を与え、友人たちがパウロの世話をすることを妨げないようにしてくれました。そのようにして、パウロの命は守られたのです。

ところで、今日お読みしました個所の最初の部分には、総督フェリクスについての興味深い話が記されています。

「数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。だが、パウロから金をもらおうとする下心もあったので、度々呼び出しては話し合っていた。」

フェリクスは、先ほども申し上げたとおり、どこで聞いたのか、だれから学んだのかは分かりませんが、キリスト教信仰の内容をかなり詳しく知っていました。おそらく興味も持っていました。しかし、洗礼は受けておらず、キリスト者になっていませんでした。

ある日フェリクスは、妻のドルシラと共にパウロの話を聞きに来ました。そこでパウロはこの夫婦の前で、イエス・キリストを信じて生きるとはどういうことかを話しました。彼らは「信仰とは何か」「救いとは何か」というような点については喜んで聴いていた様子が伺えます。彼らがそれを喜んで聴いていた理由はだいたい分かります。

キリスト教信仰における救済理解は、我々はただイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、神の恵みによってのみ救われるというものです。人間の努力や行いや実績によって救われるのではない。わたしたちの側は「ありのまま」でよい。救いの一切は神の恵みとして与えられるものです。この面のキリスト教信仰は、とてもありがたい教えなのです。フェリクス夫妻がパウロの話を聞きながら喜んだ部分は、おそらくそのようなものです。

ところが、パウロの話が「正義や節制や来るべき裁き」という点に及ぶや否や、つまり倫理的・道徳的な点に話が及ぶや否や、フェリクスは非常に恐怖心を抱き、今回はこれでおしまいとばかりに、パウロの話を中断させたのです。

たとえて言えば、フェリクスは、あのローマの信徒への手紙の前半部分(とくに1~8章)に書かれている「信仰とは何か、救いとは何か」という部分については、喜んで聴くことができたのだということです。しかし、ローマの信徒への手紙の後半部分(12章以降)にある「キリスト者の生活とはどういうものであるか」というような点に話が及ぶと、急に耳をふさぎはじめたのです。

キリスト教信仰は「恵みと信仰による救い」という点だけで終わるものではありません。「イエス・キリストによって救われた者たちはどう生きるか」というテーマが、必ず続くのです。わたしたち一人一人の生き方が厳しく問われるのです。ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信仰規準も、前半は「信仰編」であり、後半は「道徳編」であるという仕方で区分されています。

つまり、フェリクスの態度は、「信仰編」は受け入れるが、「道徳編」は受け入れないというのと同じです。要するに彼は、キリスト教の“良いところ取り”をしたかったのではないでしょうか。とてもありがたくて、都合のよい部分だけを受け入れ、都合の悪い部分は受け入れない。キリスト教信仰の半分だけを受け入れて、もう半分は受け入れたくないという態度をとったのです。

この総督フェリクスについて伝えられていることは、実際の彼はかなり残虐非道な人物だったということです。そのような人物にとってキリスト教信仰における倫理的な要素は恐ろしいと感じるものであり、自分が責められている、裁かれていると感じるものだったわけです。妻ドルシラは、フェリクスの三人目の妻だったようですが、他人から奪って妻にした人であったと言われています。

とはいえ、彼が「恐ろしくなった」ことは、まだ救いようがあると感じられます。自分が大きな罪を犯していても、悪いことをしていても、そのことを恐ろしいと思わない人は、恐ろしい人です。もし本当に神がおられるなら自分の犯した罪を見逃すことはありえないと感じ、そこで全く観念し、神の前に頭(こうべ)を垂れて自分の罪を悔い改め、救い主イエス・キリストの教えに従う新しい人生を始めることができた人は幸いです。そういうふうになれない、自分自身を省みることができず、罪深い自分の姿を鏡に映してみることができず、神の前からも、自分自身からも逃げることばかり考えている人は不幸です。

フェリクスの場合は微妙です。恐怖を感じたということは、彼に良心が残っていた証拠であると言えるかもしれません。しかしフェリクスには「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(26節)とか「ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」(27節)と書かれています。こうなると良心のかけらもない感じです。パウロは監禁状態から解放されるたびに、釈放金を払わされていたようです。

それでも、釈放されるたびに、フェリクスに対してキリスト教信仰を宣べ伝えることができる。もしかしたらこの人が信仰を受け入れ、教会のメンバーになってくれるかもしれない。パウロは、そのことに希望を見出していたように思われます。伝道者は、相手が話を聞いてくれているかぎり、さじを投げたりしないのです。決してあきらめないのです。

「さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。フェストゥスは、総督として着任して三日たってから、カイサリアからエルサレムへ上った。祭司長たちやユダヤ人のおもだった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で殺そうと陰謀をたくらんでいたのである。ところがフェストゥスは、パウロはカイサリアで監禁されており、自分も間もなくそこへ帰るつもりであると答え、『だから、その男に不都合なところがあるというのなら、あなたたちのうちの有力者が、わたしと一緒に下って行って、告発すればよいではないか』と言った。フェストゥスは、八日か十日ほど彼らの間で過ごしてから、カイサリアへ下り、翌日、裁判の席に着いて、パウロを引き出すように命令した。パウロが出廷すると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちが、彼を取り囲んで、重い罪状をあれこれ言いたてたが、それを立証することはできなかった。パウロは、『私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません』と弁明した。しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。『お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、わたしの前で裁判を受けたいと思うか。』パウロは言った。『私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します。』そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように』と答えた。」

24・27以下には、フェリクスの次に総督として赴任したフェストゥスの話が記されています。フェストゥスもどこかしら怪しげな人物として描かれています。この人も「ユダヤ人に気に入られようとして」(9節)という動機で何事かをなすところがありました。そのようなフェストゥスの性格を、パウロ暗殺をたくらみ続けるユダヤ教指導部の人々が鋭く見抜き、彼をなんとか利用しようとしました。今日の個所にはその顛末が詳しく記されています。

しかし、フェストゥスは、ユダヤ教指導部の人々に踊らされることはありませんでした。パウロに不都合なことがあるなら、あなたたち自身が告発すればよいと言ってくれました。これは正当な判断です。陰でこそこそしないで、正々堂々と法廷の場でやりあえばよいではないかということです。こういうふうに言ってくれる総督の存在は、パウロにとってはありがたい存在であったと思われます。

実際パウロはおそらく法廷に立ちたかったのです。彼は律法学者でした。法そのもの、そして法廷という場所の意味と価値を熟知していました。法廷とは、正々堂々と戦う場所です。ただし、武器を持たないで。法に基づいて。法廷で闘うことは、陰でコソコソやることのちょうど正反対です。暗殺や密約というような、どす黒くて薄暗いやり方の正反対です。パウロはフェストゥスの前で、はっきりと言いました。「私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません」(10節)。悪いことをしていないのに私は訴えられている。暗殺されようとしている。これは理不尽ですということでしょう。

そしてパウロは、ついに言いました。「私は皇帝に上訴します」(11節)。「皇帝」とは、もちろんローマ皇帝のことです。ローマ帝国の王者であり、主権者です。その人のところまで自分は行く。私は間違っていないと言いに行く。

しかし、パウロの目的は、自己弁護のためではありませんでした。パウロがローマ皇帝のもとに行きたかった目的は、ただ一つ、伝道でした。それしか考えられません。ローマ皇帝に「救い主イエス・キリストを信じてください。洗礼を受けてください」と迫ることでした。たとえ相手が巨大な帝国の王者であれ、パウロにとっては、神に造られた一人の人間にすぎませんでした。恐れる理由など、何もなかったのです。

(2008年6月22日、松戸小金原教会主日礼拝)

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2008年6月15日 (日)

「事実こそ力」

http://sermon.reformed.jp/pdf/sermon2008-06-15.pdf (印刷用PDF)

使徒言行録24・1~23(連続講解第59回)

日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康

今日の個所で使徒パウロはカイサリアという町にいます。パウロをここまで連れてきたのは、千人隊長クラウディウス・リシアが召集した四七〇名の兵隊たちでした。彼らは、パウロを暗殺しようと計画していた四十人以上のユダヤ人たちの手から、無実のパウロを助け出しました。千人隊長リシアの目から見ると、パウロの側に死刑にされたり投獄されたりする理由はないことが分かったからです。

しかし、パウロの苦難の日々が終わったわけではありませんでした。今度はカイサリアの町のローマ総督フェリクスの前に引き出されました。そして、そこで裁判が始まったのです。

「五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。『フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは、あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝しているしだいです。さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申し上げます。御寛容をもってお聞きください。実は、この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている者、「ナザレ人の分派」の主謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしましたので逮捕いたしました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発したことがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、そのとおりであると申し立てた。」

この個所で分かることは、当時パウロの宣べ伝えていたキリスト教信仰に敵対していたユダヤ人たちが、パウロ自身とキリスト教信仰に対してどのような言葉で批判していたかということです。パウロに対する批判の言葉は「疫病のような人間」というものでした。また、キリスト教信仰に対する批判の言葉は「ナザレ人の分派」というものでした。

これらはもちろん批判の言葉として語られたものですから、気持ちのよいものではありません。しかし別の見方をすれば、彼らの言っていることは、ある面の真理を言い当てていると考えることができるかもしれません。

パウロは、もちろんまさか「疫病のような人間」ではありません。しかし、そのことを彼に敵対していた人々が認めたということから分かることは、パウロの影響力は、まさに疫病のように、広い範囲に力を及ぼすものであったということでもあるでしょう。

わたしたちの教会の存在、また教会が行う伝道活動は、もちろんまさか「疫病」のようなものではありません。しかし、もしわたしたちがあまりにも遠慮しすぎていると、そのうち「あの教会は毒にも薬にもならない」という批判が聞こえてくることになるかもしれません。

教会の存在が社会にもたらす影響力というものは、目に見えて華々しいものとか、状況を劇的に変貌させるものではありません。しかし、それは、ゆっくりじわじわと、そして確実に進んでいくものです。たとえばの話ですが、今のわたしたちがしているような一回30分程度の説教を聴いていただくだけでも、10年間礼拝に通えばどれくらいの時間になるだろうか、40年通えばどうだろうかというふうに考えてみていただくとよいでしょう。

「説教の内容を全く覚えていない」とおっしゃる方もいます。42才の私も、まさに42年間教会に通い続けてきまして、いろんな牧師の説教を聴いてきましたが、説教で聴いたことは、ほとんど忘れてしまいます。とくに、いつ、どの牧師が言ったかというようなことは全く覚えていません。それでいいと思っています。ですから、どうかご安心ください。

それはちょうど、わたしたちが、大人になった今となっては、小学校や中学校で教えていただいた先生の顔も名前も思い出せないことが多いのと同じだと思っています。皆さんの中に算数や国語や社会や理科についての知識を、どの先生が、いつどんなふうに教えてくださったかをはっきりと覚えているという方がおられるでしょうか。私は、全く覚えていません。先生たちの顔さえ思い出せません。たぶんそれでいいのです。

重要なのは先生ではなく、教えられた内容です。今わたしたちが持っている知識です。あるいは、いつかどこかで受けた影響そのものです。心と体の中に残っているものがあり、浸透しているものがあるというこの事実が重要なのです。宗教もそれと同じなのです。

それでももちろん、我々の存在を指して「疫病」などと言われることは、あまり気持ちのよいものではありません。しかし、強いて言うならば、パウロの宣べ伝えたキリスト教信仰には、単なる“薬”という面だけではなく、ある意味での“毒”の面が含まれていたと言えるかもしれません。

キリスト教信仰には、癒しや慰めなど爽やかな快感をもたらす面だけでなく、厳しい裁きと罪の悔い改めを迫る面がたしかにあります。「あなたが今まで信じてきたことは間違いです」と告げる面があり、「これまでの生き方を根本的に変えねばなりません」と迫る面があるのです。その要素がないような説教は説教ではありません。キリスト教信仰を受け入れることがなく、自分自身の罪を悔い改めることもなかった人々にとっては、パウロの説教は、なるほど「疫病」だったかもしれません。

キリスト教信仰に対する「ナザレ人の分派」という批判の言葉についても、いろいろと考えさせられるところがあります。当時のユダヤ人たちにとって、キリスト教会の存在は、ユダヤ教の異端的分派、つまり“ユダヤ教キリスト派”であると思われていたことの一つの証拠と言えるでしょう。

この点も、ある意味で彼らが言うとおりでした。イエス・キリスト御自身も、弟子たちも、そしてパウロも、新しい別の宗教団体をつくろうと願っていたわけではありません。むしろ、言ってみればユダヤ教そのものの全面的改革、神の民イスラエルの再建と再出発を願っていたのです。そのことを嫌がったのはユダヤ教団指導部です。イエス・キリストを殺し、弟子たちを迫害し、パウロを殺そうとしたのです。パウロたちが分派活動をしたのではなく、ユダヤ教団指導部がパウロたちを「分派」と呼んで異端視したのです。

わたしたち改革派教会、またプロテスタント教会全体も、似たような経緯を辿りました。16世紀の宗教改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教えや活動の内容に強く反対しましたが、だからといって、新しい別の教会をつくろうと願っていたわけではありませんでした。我々もローマ・カトリック教会から追い出されたのです。追い出されるようなことを言ったりしたりしたほうが悪いと言われると立場がありませんが、わたしたちとしては、宗教改革者たちが主張した真理に耳を傾けなかった人々の責任も重大であったと言わなければなりません。

「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、わたしが礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。』」

先ほど私が申し上げた点を、パウロはカイサリアの総督フェリクスの前で、はっきりと述べています。それは、キリスト教会とその信仰を指して「分派」と呼んでいるのは彼らユダヤ人であるということです。しかし、我々は「分派」などではありえないとパウロは主張しています。なぜなら、キリスト教会は「先祖の神を礼拝している」からです。また「律法に即したことと預言者の書に書いてあること」、つまり(旧約)聖書を「ことごとく信じている」からです。

これはわたしたちにとって、非常に重要な点です。今でも繰り返し誤解されていることは、ユダヤ教の神とキリスト教の神は別の神であると思われることがあるということです。旧約聖書の神は、裁きの神であり、恐ろしい神である。新約聖書の神は、愛の神であり、優しい神である。旧約聖書はユダヤ教の書物であり、新約聖書だけがキリスト教の書物である、など。これは全く根本的な誤解です。わたしたちにとっては、旧約と新約のすべてが「聖書」です。

この聖書全体に示されている神の言葉を信じて生きていくのがキリスト者であり、キリスト教会です。キリスト教信仰は、分派としての「ユダヤ教キリスト派」であるどころか、ある意味で本来のユダヤ教であり、神の民イスラエルの本来の宗教なのです。「分派」であるとか「異端」であると言われるようなものではありえないのです。

「『更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。………もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』」

しかしまた、パウロが総督フェリクスの前で、まさに声を大にして、強く語ったのは、キリスト教信仰の核心部分である「死者の復活」という点でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望」は「この人たち自身」、つまりユダヤ人たち自身、とくにファリサイ派の人々は信じていることでした。死者の復活を信じないユダヤ人たち、とくにサドカイ派の人々もいました。しかし、「死者の復活」を信じるからといって、キリスト教が異端視される理由にはならないということを、パウロは語っているのです。

特にパウロの場合、彼が信じていた「死者の復活」は、聖書というこの書物についての読書や研究によって得られた知識や確信というような次元にとどまるものではありませんでした。この点はわたしたちの場合とパウロの場合は違うというべきです。

わたしたちは、聖書を読むこと、すなわち“読書”によって「死者の復活」を信じています。しかしパウロは違いました。生ける真の救い主イエス・キリスト御自身が、彼の目の前に現れたのです!パウロとキリストは、神秘的・奇跡的な仕方で出会いを経験したのです。この出会いは、パウロにとっては二度と否定することができない事実だったのです。

自分が現実に体験した出会いの事実を否定することができない。パウロの信仰は、聖書以上に事実に基づくものでした。そのためパウロは、裁判所であれ、国会議事堂であれ、どのような場所に立たされようとも、また目の前に敵がたくさんいるような危険な場所であっても、彼の信仰を曲げることができませんでした。

パウロは、事実を事実として語っただけです。事実こそが力なのです!

(2008年6月15日、松戸小金原教会主日礼拝)

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